自転車で行ってきた。

過去訪れたあちこちのことなどを、備忘録的に書いていきます。

(2019.3.21)春の古都、萩市内を自転車巡り! その②

引き続き、萩市内の見どころを紹介していきたいと思います~

 

前回は、萩市内の最南端にある太鼓湾に到着したところまで記しました。ここから北上して市内中央部に戻ろうとしたところ、太鼓湾を過ぎてすぐに用水路のような細い川を発見。

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この川は藍場川といって、18世紀半ばに物資運搬や防火用水を確保するため開削されたもの。川沿いは昔ながらの建物が立ち並び、歴史的景観保存地区に指定されています。

 

昔からこの川沿いでは、用水路を活用して自然と調和した暮らしが営まれていたのだとか。その様子がよくわかるのが、太鼓湾のすぐそばにある旧湯川家住宅です。

こちらはかつての武家屋敷なのですが、藍場川の水を屋敷内に引き入れて様々に活用する工夫がこらされています。

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(藍場川から引き入れた水は…)

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(庭園の池を過ぎ…)

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(母屋の台所下を通って再び川に戻されます。旧湯川家住宅では水道が普及するまで、ここで食器洗いなどを行っていたそうです。)

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(母屋だけでなく、離れの風呂場も川に面して作られています。ガイドさん曰く、かつては風呂に使う水も川から汲み上げて用意したそうです。また排水溝にもひと工夫あって、排水をそのまま川に流さずに、木炭や灰をくぐらせるようにしていたのだとか。)

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(ちなみに藍場川沿いでは旧湯川家住宅以外にも、そこかしこで川の水を汲み上げるため、住宅の一部が川に張り出している造りを見ることができました)

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(一通り見学した後は、茶室から庭を眺めて一休み。素人目にも茶室周りの意匠は良い感じで、しばし休めばすっかり気分もリフレッシュです)

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(私が訪れた時は、「萩城下の古き雛たち」と題して江戸期から受け継がれてきたお雛様が展示されていました。萩では今も旧暦でひな祭りを祝っており、4月3日までお雛様を飾るのだとか)

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(ほかにも藍場川沿いには、「ニコポン」のあだ名で有名な桂太郎の旧宅が残されています。元総理大臣の住居とは思えない位こじんまりとした造りですが、これは少年時代を過ごした萩で、時には旧友も招いて穏やかに暮らすために作られたためだそう)

 

これらの観光地以外も藍場川沿いは情緒たっぷり、車通りも少なく自転車散歩にうってつけの良い場所でした!

こうして藍場川沿いを散歩しながら北上したわけですが、気が付けば萩市役所を超えて市の中心部まで戻ってきました。

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市の中心部は城下町の街並みがそのまま残っており、高杉晋作生誕地や木戸孝允旧宅など歴史的なスポットが盛りだくさん。

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(木戸孝允旧宅内には、木戸直筆の書などが展示されています。こちらは木戸が7、8歳の頃に書いた手習いだそうですが、とても子供の字とは思えなかったです)

 

と、いうわけでこんな具合に定番の萩の歴史スポットをまわってきたわけですが、青木周弼旧宅を訪れた際、ここのガイドさんから隠れスポット的な興味深い場所のことを教えてもらいました。

それはどこかと言うと、萩中心部の明倫小学校のすぐ近く、萩っ子という居酒屋さんの隣にある唐樋地蔵堂です。

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外観はどこにでもありそうな小さなお堂ですが…

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このお堂の中で大事に飾られている古い絵が、歴史を考えると中々に考えさせられるものだったりします。

この絵は白虎隊自刃の図。戊辰戦争当時長州の敵方だった、会津藩の少年たちの最後を描いたものです。誰が奉納したものか定かではないそうですが、戊辰戦争から間もない明治10年代には奉納されていたと推測されています。そして現在に至るまで、このお堂では白虎隊の供養が続けられてきたそうです。

戊辰戦争から150年たった現在でも、長州と会津の因縁は消え去っていないともいわれます。しかし戊辰戦争の直後から萩で白虎隊の供養が続けられていたとは、良い意味でイメージが覆されましたね。

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(お堂の中には、この供養に対する会津の人からの感謝状も飾られていました)

 

こうして地蔵堂を見学・お参りした後は東へ向かい、松本川を越えて松陰神社へと。 f:id:samayoicyarinko:20190424215317j:plain

(松陰神社は名前の通り、幕末の思想家・教育課の吉田松陰を祀った神社です。その境内には…)

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(吉田松陰が教え、伊藤博文や山形有朋らが学んだ松下村塾が残されています。さすがに有名なスポットだけあり、この日訪れた場所の中では一番観光客が多かったように思います)

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(松陰神社のすぐそばでは、東京から移築された伊藤博文別邸が公開されています。ちなみにその隣には伊藤博文の生家がありますが、あいにく私が訪れた時は屋根が修繕中で少し寂しい佇まいでした)

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(そして最後に、攘夷にも使用された大砲を鋳造していた郡司鋳造所跡を見学。こちらは2000年に行われた発掘調査をもとに作られた復元模型ですが、一昨日に訪れた台場跡のことを思い出しつつこの場所を見学すれば、また感慨もひとしおでしたね)

 

こうして1日たっぷりと萩を観光しつくして、17時半頃東萩駅へ。

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この日のお宿は益田に確保しているため、時間の都合でここからは一気に電車で益田まで向かいます。

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(最初の予定では昼過ぎから益田に向かう予定でしたが、1日使って萩全体をまわることにして良かったです。日本海に沈む夕日を車窓から眺めつつ、1時間余りで益田駅に到着です)

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(この日宿泊したのは、益田駅からほど近い「瑞穂イン石見益田」。部屋はカーテンで区切られた半個室形態ですが、カーテンの中はビジネスホテルの一般的なシングルルームのようになっています。設備面も充実しており、館内にコインランドリーがあるほか、シャワールームは無料で使用可能です。印象としては満喫の個室とビジネスホテルのシングルの中間といった感じでしたね。ちなみに一泊のお値段は、朝食付きで3600円でした)

 

こうして大満足の内に、無事山陰遠征3日目を終えることができました! 4日目は益田から浜田を超え、歴史ある温泉街の温泉津(ゆのつ)へと向かいます。

まだまだ見どころだらけの山陰遠征、引き続き道中の模様を色々と紹介していきたいと思います!!

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