今回は、ツール・ド・東北で実際に私が走ったあちこちのことを紹介したいと思います~
さて、早朝宿舎の女川を出発した私たちは、万石浦を横目に国道398号線を使って石巻市内へ。スタート地点となる石巻専修大学に到着すると、すでに多くの自転車乗りが。
(あいにくの曇天ではありましたが、どうにか雨には降られずにすみました。今年のツール・ド・東北は、のべ4,000名もの方々が参加したのだとか)
そして式典もそこそこに、10時半ごろ専修大学を出発して国道45号線を西に、その後鳴瀬川を越えてからは道なりに南下して松島方面へ。今回私たちが参加したのはグループライドだったため、道中はずっと10名前後で一団となって走りました。途中途中でお話を伺ってみると、はじめて東北に走りに来た人もいれば、一緒にボランティアを行っていた人同士で走りに来た人たちもいて、色々と面白い話を聞くことができました!
(鳴瀬川を越えてからは、三景として有名な松島は宮戸島へ。道中はどこも良い景色ばかりでしたが、グループライドは全体で一団となって走るため、自分1人停車して写真を撮るわけにはいかなかったのは少し残念だったり。写真は途中休憩で寄り道した、宮戸島南端の月浜海水浴場です)
(この宮戸島では、昼食に一見するとそばのようだけど、実は海苔が練り込まれているサラダのりうどんを頂きました)
(また昼食後の休憩時間を利用して、宮戸島の中心部にある大高森に登ってみました。ここからは、宮島の大小さまざまな島々を一望することができました! なんでもその美しさから、宮島四景に数えられるほどなのだとか)
(振り返れば出発地の石巻や牡鹿半島が。地元の方曰く、この時期はガスで煙ってしまうことが多く、牡鹿半島を見ることができるのは珍しいのだそう)
こうして松島の景色を堪能した後は石巻に向かってきた道を戻るのですが、その途中で被災した震災遺構も見学していくことに。
2015年の5月より、それまで不通となっていた仙台-石巻間を結ぶ仙石線が復旧しましたが、津波の教訓から新しい線路は高台に移転したものとなっています。それでは震災当時の仙石線の跡地はどうなっているのかというと…
例えばこの写真は震災で被災した旧野蒜駅なのですが、駅舎は現在震災復興伝承館として改築されており、館内には震災当時の写真パネルなどが展示されています。またこの日は語り部の方のお話も伺うことができたのですが、その方に震災前後の航空写真を見せていただくと、先ほどまで自分たちが走ってきた「空き地」の殆どがかつては住宅地だったことを知り、何とも言えない気分となりました。
一方ですべてが震災のままというわけでもなく、高台では住居を移してきた人々を中心に生活が再建されつつもあります。特にこの野蒜地区では、被災した小学校の再建にあたって里山の自然の中に学校を作る取り組みが進められています。
写真はその象徴となるツリー・ハウスで、建材の殆どがこの山で伐採した樹木を用い、地元の子供たちも手伝いながら作られたそうです。
openers.jp(この取り組みについては、この記事がわかりやすくまとめていました)
こうして方々を見学しながら石巻へ戻ってみるとすっかり日も暮れており、専修大学に戻るころにはすっかり周りは真っ暗になってしまいました。
(すっかり真っ暗になってしまいましたが、無事完走です!!)
色々考えていくと楽しいだけでもいられない時もありましたが、地元の方から声援を頂きつつ、色々な地元の幸を楽しみながら走ることができたのは、なんだかんだで良い思い出となりました!
来年も引き続き開催されるようなので、私たちもまた申し込むつもりです。せっかくなので、次回はまた別の場所を訪れてみたいものです。