自転車旅行、九州3日目の記録です~
さてここまで福岡→大分→宮崎と進んできたわけですが、この日の目標は大隅半島を横断し、最終的に鹿児島市に向かうこと。と、いうわけでまだ夜も明けきらない早朝6時には宿舎を出発することに。
(夜の間も御崎馬たちはあちこち移動して草を食べているらしく、道のあちこちで草を食み続ける馬を見かけることができました。今度来る時があれば、夏にまた訪れたいものです)
(まず目指すのは、はるか彼方に霞んで見える大隅半島です)
昨日電車で到着した串間駅まで戻った後、国道220号線に沿ってひたすら海沿いを西側へ。220号線は平坦で想像以上にスムーズに進むことができ、昼前には鹿屋市の中心街に入ることができました!
(やはり九州は本州よりも暖かく、3月になったばかりでも沿道のあちこちでは菜の花が咲き誇っていました)
鹿屋市内には海上自衛隊の航空基地があるためか、上空を様々な大型機が飛び交っています。それらの飛行機を見ていて興味がわいてきたので、
昼食場所を探しがてら、鹿屋航空基地に併設されている史料館を見学してみることに。
(もともと鹿屋基地は旧海軍の時代から設置されていたこともあり、海自関連だけでなく旧海軍の航空機も展示されています。この飛行機はかつてはお台場の船の科学館で展示されていた二式飛行艇ですが、この日は整備中のため近づくことができませんでした)
(こちらは先ほどの二式飛行艇の後継機にあたる、海自のUS-1という救難飛行艇です。このように屋外には10機以上の航空機が展示されていましたが、その多くが風雨にされされてかなりくたびれた感が出てしまっていたのが何とも… 中々難しいのでしょうが、せっかくの貴重な技術遺産なんだろうし大切にとっておいてほしいものです)
(史料館内で展示されていた対潜哨戒機のソナー設備。無数のボタンやディスプレイが松本零士のマンガみたいです)
(こうして1時間半ほど史料館を見学した後は、この日は金曜日だったので海軍にあやかってカレーを食べることに。海軍では長期の航海中も曜日感覚を保つため、金曜日は必ずカレーを食べていたそうです)
のんびり腹ごしらえをした後は、13時半ころ鹿屋を出発し再び220号線を西へ。そして錦江湾に到着してからは、佐多街道を北に向かって漕ぐこと暫し。そして垂水市内に入ると…
ついに遠方に鹿児島の象徴、桜島が見えてきました!!
(この後も次第に大きくなってくる桜島にテンションを上げつつ、道なりにひたすら北へ。この日の桜島は穏やかで、ほとんど煙もあがっていませんでした)
(現在は地続きとなっている桜島ですが、1914年の大噴火まではその名の通り海に囲まれた島でした。この写真の付近一帯は1914年までは海で、写真左側の大隅半島と右側の桜島に挟まれた海峡になっていたそうです。それが噴火の結果マグマによって海峡が埋まり、このように陸続きになったのだとか。)
(海を埋め立てるほど噴火の勢いは物凄く、付近の集落は火山灰や軽石によって大きな被害を受けたそうです。付近にはその噴火の凄まじさを物語る、火山灰によって埋もれた埋没鳥居〔この埋没鳥居は、ほぼ埋没していたものをここまで掘り出したのだそうです〕が残されています)
(間近で眺める桜島の御岳は、何とも雄大なものでした!)
(桜島からは、鹿児島市内までなんと24時間中フェリーが運航しています。桜島から15分程度の船旅です)
こうして何だかんだ、18時前には鹿児島市内に到着することができました!
到着するまで鹿児島では漫喫に宿泊するつもりでしたが、思ったより早く着いたのと、さすがに疲れていてナイトパックの時間まで時間を潰すのがしんどい感じだったので、少々高くなってもビジネスホテルに宿泊することにしてこの日は終了となりました。
こうして3日間使って九州南部に到達することができたわけですが、明日からは九州西部を北上して福岡を目指していくこととなります。その模様はまた、改めてまとめたいと思います~