今回は自転車には乗れませんでしたが、電車を駆使して東北をぶらついてきました!
カミさんの実家が山形の新庄なのですが、先日新庄にて親戚の方々の集まりがありました。私もそこに参加したわけですが、せっかくの休みなので新庄だけでなく今まで訪れたことのないあちらこちらに行ってみようと、会合の2日前に出発することに。
(今回は貧乏旅行の強い味方、青春18きっぷを使って鈍行の旅)
(白河から福島、仙台をへてまずは一ノ関まで向かいます)
と、いうわけでやってきた岩手県の一関。当初はここでレンタサイクルを借り、周辺をぶらつこうと考えていました。しかし残念ながら強めの雨が降っていたため、レンタサイクルではなくレンタカーで散策開始です。
さて、一関周辺と言ったら何といっても世界遺産の平泉が有名ですが、それ以外にも個人的に訪れたいスポットが2つありました。
まずはその1つ目、厳美渓を見に行くため国道342号線を西に向かいます。
(厳美渓は、古くから景勝地として知られる渓谷地帯。かの伊達政宗も厳美渓の風景を楽しんだと伝わっています)
(ちなみに、一関市内には名前がそっくりの猊鼻渓なる渓谷もあるそうです。今回は時間をとれませんでしたが、次に機会を作れた時はそちらも訪れてみたいですね)
そして厳美渓を散策していると、渓谷のほとりに東屋を発見しました。ただこの東屋、単なる休憩どころではなく面白い趣向が凝らされています。
写真ではわかりにくいのですが、東屋から対岸に向かってワイヤーが張られ、東屋には籠が設置されています。籠に代金をいれて合図を送ると…
このように対岸の団子屋さんが籠を回収し、中に団子を入れて届けてくれちゃいます! この「空飛ぶ団子」、通称「郭公団子」は厳美渓の名物として有名なのだそうです。
(この日はあいにくの天気でしたが、紅葉の季節などはさぞ美しいのでしょうね。少し残念ではありますが、良いものが見れました!)
こうして厳美渓の景色を堪能した後、さらに国道342号線を西に向かって進みます。
(こうしてずんずんと栗駒山方面へと進んでいくと…)
(周囲の風景も、これぞ日本の農村! といった感じになってきました)
このいかにもな農村地帯が、私の訪れてみたかったもう1つのスポット、「骨寺村荘園遺跡」です。
一関市の西部にある現在の本寺地区は、その昔「骨寺村」と呼ばれていました。骨寺村は中尊寺の経蔵別当の所領だったそうで、貴重なことに鎌倉時代の地図に描かれた領域が、ほぼそのまま残されているのだそう。
歴史好き的には、中世の光景を目の当たりにできると思うとテンションが上がってきます。そこで本寺地区のほぼ中央にある荘園交流館に車を停め、徒歩でかつての荘園地帯を散策することに。
(ほとんどの水田が江戸時代以後の開墾によって整備されたものだそうですが、一部には鎌倉時代に作られた小さな水田が残されていました)
(また、この地域一帯では江戸時代の水路がそのまま用いられています。当時の人々は、ポンプがなくても水が循環するように、田んぼごとに高低差をつけて開墾を行ったそうです。緻密に田んぼを作っていった先人を思えば、すごいなぁ、と歎息するばかりです)
(この頃からさらに雨脚が強くなって足元はずいぶん悪くなってしまいましたが、雨でけぶった農村の様子は、これはこれで雰囲気たっぷりな感じです)
(最後に、古来からこの地の中心となっていた駒形根神社へ。鎌倉時代の古地図でも、同じ場所に「六所宮」が置かれていたことが確認できます)
(中尊寺のような派手さはないかもしれませんが、落ち着いて周囲を散策すると色々と往時が偲ばれて私はとても楽しむことができました! 今度は天気が良い時に、自転車でゆっくり散策したいものです)
www.honedera.jp(日本の原風景的なものを楽しみたい方には、ぜひ一度訪れてみてもらいたいと思います!!)
このように色々と風景を楽しんだ後は、ベタなところもおさえようと平泉にも足を伸ばしてみました。その様子やほかの地域のことなどは、また改めて紹介したいと思います!!