8月の終わりに、やっと休みと晴れの日が重なりました!!
土日も結構仕事の入った8月も終わりが近づき、とりあえず今週一杯はお休みな感じ。しかし天気予報を見ると木曜以降は宜しくないお天気っぽいので、天気が良い内に出かけることに。
そして今回は少し足を伸ばし、群馬西部を中心にあちこち巡ってみることにしました!
と、いうわけでまずは電車に乗って信越本線の横川駅へ。まずはここから碓氷峠を越え、軽井沢まで行ってみることに。
(「峠の釜めし」で有名な「おぎのや」本店を横目に、今回の遠出がスタートです)
さて碓氷峠と言えば古来より交通の要所で、かつ中山道屈指の難所として有名なスポットです。そのため出発前は相当しんどい道のりとなることを覚悟していましたが、現在の碓氷峠(国道18号線)は明治・昭和期の道路整備によって大分なだらかな勾配に変わっていました。
具体的に言うと横川から峠まで、およそ15kmの道はずっと登り道ではあるものの、勾配そのものは私の脚力でも足をつかずに走破できる程度のものとなっていましたね。
(坂本宿を抜けるとすぐに、山の中をゆるゆると登っていくことに)
さてこの国道18号線ですが、1963年に廃止されるまで、そのすぐ隣を信越線が走っていました。そして現在その廃線跡は、アプトの道という遊歩道になっています。
私も途中で寄り道してこの遊歩道を少しだけ歩いてみましたが、その傾斜は18号線よりも大分急に感じられ、なるほどこれを列車で走るのは相当大変だったことが良くわかりました。
(18号線を走っていると所々で信越線の遺構を見ることができ、緑の濃さも相まってとても良い風情を漂わせていました!)
(信越線の遺構の中で最も大規模なものがこの碓氷第三橋梁、通称めがね橋です。付近には駐車場や遊歩道が整備されており、橋梁の上に登ることができます)
(橋梁からは1997年の新幹線開通に伴い廃線となった、信越本線跡も見ることができました)
(かつての熊ノ平駅跡が、アプトの道の折り返し地点となっています。駅の面影を残すものは殆どなく、わずかに草に埋もれたホーム跡と変電所跡だけが往時の雰囲気をとどめていました)
www.tripadvisor.jp(こちらに色々と口コミ情報などがまとめられていました~)
さて、熊ノ平駅跡(ちなみに、この熊ノ平駅がちょうど横川~軽井沢間の中間地点になる感じでした)を出発してさらに30分余り、思ったより簡単に碓氷峠越えを達成することができました。
これだけでは少々物足りないしどうしようかなと考えて、どうせなら江戸期の碓氷峠も行ってみようと計画変更。ここから一旦軽井沢まで下り、そのまま軽井沢を抜けて旧中山道の碓氷峠にも登ってみることに。
こちらの道は江戸期の街道がベースとなっているだけあり、国道18号線と比べると大分勾配が厳しい感じ。ヒイヒイ言いながらやっとの思いで登り、ついにもう1つの碓氷峠にも到着です!
(旧中山道の碓氷峠は、今日でも群馬と長野の県境となっています)
見ての通り、峠の県境に赤線が引かれていたのですが、ここから後ろを振り返ると…
県境をまたぐように神社がありました。
こちらの「熊野神社」、ちょうど県境に建立されているせいで1つの神社が分裂した状態になっています。
なぜそんなややこしいことになったかというと、第二次世界大戦後、都道府県ごとに宗教法人を登記するようになったため、群馬・長野双方で宗教法人として登録することになったのだそう。そのため現在では、群馬県側が「熊野神社」、長野県側が「熊野皇大神社」という名称になっています。
別の宗教法人なためか、同じ境内なのに賽銭箱だけでなく社務所も2か所にわかれており、御朱印も2か所でもらえるようになっていました(神主も2人いるのだとか)。まぁ仲が悪いとかそういうことはないのでしょうが、なんだか変な感じです。
ちなみにこの神社から徒歩5分程度の場所には見晴台があります。今回は夏に訪れたこともあってけむってしまいましたが、視界が良好なら八ヶ岳や浅間山を一望できる素晴らしい眺望スポットのようです。
(見渡すことができなかったとはいえ、一面の濃い緑は見ごたえたっぷりで何とも雄大なものでした!!)
(見晴台でのんびりした後は、軽井沢に下って軽井沢の銀座通りを食べ歩きしつつブラブラと。軽井沢は多くの洋風建築が建て並び、いかにも歴史のある避暑地といった趣を感じました)
こうして軽井沢を散策したのですが、軽井沢近辺は貧乏旅行をするには少々ハードルの高い地域なため、ここから新幹線で高崎まで戻り、高崎の漫画喫茶で一泊することに。そして翌日は下仁田・富岡方面へ足を伸ばしてみたのですが、その模様はまた改めてまとめたいと思います~
(夕暮れと共に軽井沢駅に到着し、続きはまた明日な感じです)