7月25日の朝4時半、早々に目を覚まして箱根超えの用意をする。
今日の目標は「天下の険」として名高い箱根峠。冷静に考えて、自分の脚力ではとても峠まで漕ぎ続けることはできそうにない。なので車の往来が多くなる前に少しでも距離を稼ぐため、日の出と同時に漕ぎはじめる腹積もり。
そして今回箱根超えするにあたって、1つ試してみたいことがあった。
箱根と言えば箱根駅伝。ちょうど箱根駅伝の五区は小田原から芦ノ湖までを結ぶ区間となっている。とても箱根駅伝の選手たちには敵わないだろうけど、彼等が走った区間を自分が挑戦したらどれくらいになるのか、試みに計測してみることに。
と、いうわけで、5時頃箱根駅伝の小田原中継所付近からタイムを計りながらスタートする。出発から5kmくらいは割合に平坦な道のりで、箱根湯本駅までは快調に進むことができる。
(ここからが、本当の戦いの始まり!!)
けれども箱根湯本駅を過ぎたあたりから、徐々に道は傾斜を増していく。
函嶺洞門(私が訪れた際にはもう通行禁止になってしまいましたが…)の辺りまでは何とか漕ぐことができていたが、塔の沢を過ぎる辺りで早々に自転車を漕ぐことを断念、後はひたすら自転車を押して歩くことに。
(箱根の道は次第に山深くなっていきます)
実際に自分で箱根を走る(というか実態は歩くだけど…)と、箱根が「天下の険」と呼ばれるわけが良く分かる。確かに瞬間最大風速的には、東海道だけでも薩埵峠をはじめとして、箱根峠よりも傾斜のきつい峠は結構ある。けれども箱根の場合、ほかの峠よりもはるかに上り続ける距離が長い。現代の整備された道でこれだけキツいのだから、かつては行き倒れる人がいたのも納得の難所だと実感。
このように箱根の厳しさを肌で実感しつつ、何とか大平台のヘアピンカーブを抜けて大平台駅の前で小休憩。水分を補給した後、宮の下方面へと進んでいく。
先ほど箱根が難所だと記したが、一方で箱根には他の峠にない便利な点もある。箱根は古来より交通の要所だったこともあり、峠にしては沿道に多くのお店が点在する(峠によってはひたすらに山奥!! といった感じで、道中お店は勿論、人家すらないことも多いです)。なので道のりはキツいものの、補給を気にせず歩くことができるのは大きなアドバンテージとなる。
そして宮の下を左折して、日本屈指の老舗ホテルである富士屋ホテルの横を過ぎつつ更に先へ。途中何回も休憩をはさみつつ、小涌谷を過ぎ、小涌園ホテル前を左折してと、一歩ずつ確実に上り続けていく。
すると前方から、なんとリヤカーを引いて老夫婦が歩いてくる。すれ違いざまに挨拶をすると、何でも大阪から日本一周を目指してここまで歩いてきたそう。自分は自転車ならば兎に角、徒歩で遠出をすることは考えたこともなかったので、そのようなチャレンジもあるのかと圧倒される思い。行き違いだったので殆んど話すこともできなかったが、自分も負けてられないなと気合を入れ直してもうひと踏ん張り。
こうして幾度となく曲がりくねった道を過ぎていくと、ついに芦の湯付近で一直線の道が現れる。そしてこのまっすぐの道を上りきると、そこに見えるのは国道一号線最高地点の標識。
(ついにここまでやってきました!!)
この曲がり角を曲がると後は芦ノ湖までは殆んど下り一辺倒となり、今まで苦労した分非常に爽快な道のりとなる。そして快調に自転車を飛ばしながら、芦ノ湖湖畔の箱根駅伝のゴール地点に到着。
ちなみに自分の箱根五区タイムは、おおよそ3時間35分。2015年の五区1位のタイムが1時間16分なので、倍どころでない差が開いてしまったことになる。しかも箱根を走る選手たちは、誰も自分のように何回も休憩をはさんだりもしていない。今回のチャレンジを通じて、箱根を走る人たちはつくづくとんでもないんだなと実感する。
しかし何はともあれ、自力で芦ノ湖までたどり着くことができた。この達成感を噛みしめながら暫し休憩。
この後は上った後の下り道。静岡県三島方面への下り道が待ち構えている。
(自力でたどり着いて眺める芦ノ湖の風景は、達成感も相まって何ともいえない良いものでした)
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私が走った時はまだ箱根の火山活動が活発になっておらず、入山規制もされていない段階でした。この時走った道は今でも規制外になっているようですが、今年箱根峠に行くつもりの方は、一応確認が必要かもですね。
しかしまぁ本文中でも記しましたが、箱根駅伝を走る選手たちのスタミナとスピードは尋常でないと思います。人間鍛えると、とんでもない力を発揮できるんだなと思います~