5月1日、今日の目標は鈴鹿峠を越えて名古屋まで行くこと。
三雲を出発した後、東海道を東に向かってひたすらに漕いでいく。甲賀を越えて鈴鹿峠に近づくと、徐々に峠道らしく坂が増えていく。けれども事前に身構えていたのとは異なり、思ったより坂の傾斜はない感じ。けれども峠はまだ序の口だと道沿いの茶畑を横目に先へ進むと、割合あっさりと、それこそ拍子抜けする位簡単に鈴鹿峠に到着。
これは後で知ったことだけど、どうやら鈴鹿峠は三重県側からの道のりが難所と呼ばれているようで、滋賀県側からだと大半の道が下りとなり、上りはごくわずかとなる模様。と、いうわけで鈴鹿峠の道のりは、予想に反して大半が下り道となる快適なものに。
(鈴鹿峠付近にて。実際、三重から上ったら相当きついだろうなと下っていても感じました。ホント、滋賀から走って良かったと思います~)
峠道はよく整備されていて、しかも車通りもほとんどないため自転車で走るのにちょうどいい具合。そして時々本道をはなれて側道に入ってみると、かつての宿場を思わせる佇まいがそこかしこに残っている。
(今の国道1号線はおおよそかつての東海道に沿っていますが、本来の東海道とは別に新たに作られた道がほとんどとなっています。本来の東海道は県道などになって残っていることが多いので、風情を感じたいならば側道を主に使うのがいいと思いますね)
こうして寄り道もしながら峠道を下っていくと、亀山市内で関宿という場所に出くわす。この関宿は東海道五十三次のうち47番目の宿場町であったそうで、道路の幅から町家にいたるまで、往時の東海道の雰囲気を色濃く残した街並みとなっている。自転車を降りて通りを歩くと、気分はまさに江戸時代。ちょうど休憩もしたかったところなので、一旦自転車を降りてしばし街並みを散策する。
(かつてもこの道を多くの旅人が行き交っていたと思うと、ロマンを感じまくりです)
こうして宿場町の雰囲気を堪能した後、亀山から鈴鹿市へとずんずん自転車を漕いで進む。途中亀山バイパスという道路があり、1号線をそのまま走ってこのバイパス内に入り込んでしまったが、ここは自転車で走行するにはあまりにも路肩が狭い。なのでこりゃ危ないと早々にバイパスから下りて、側道をのんびり進むことにする。
※確認したところ、亀山バイパスは自動車専用道路でないため、法的には自転車で走行しても大丈夫みたいです。ただ上記の通り、自転車で走ることを想定した道路ではなさそうなので、なるべく自転車での通行は避けた方が無難と思います。特に夜間にバイパスを自転車で走るのは、かなり危険な行為になると思いますね。
こうして危険なバイパスを越え、どうにか14時過ぎには鈴鹿市内へ。けれどもバイパスで神経を使い、少々疲れたのもあり、早く名古屋に行こうと鈴鹿は観光せずにそのまま素通り(鈴鹿サーキット付近まで行ったんだし、今思えばもったいないことをした気がします…)。
なんやかんやで桑名を越えて長島方面に進むと、大小様々な水路が走っていることがわかる。かつて織田信長は長島一向一揆の際、水路を活用した一揆勢にたびたび苦汁を味わうハメになったというけれど、なるほど確かにこれだけ水路があるのなら、当時の一揆勢も神出鬼没だったんだろうなと実感(きっと当時は、今以上にたくさんの水路があったのでしょうね)。
とまぁ、このように走りながら色々と考えていると、自転車はいつしか名古屋市内に到着しているのだった。
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ホント、上記の亀山バイパスは自転車にとっては一種のトラップみたいになっているので、この道を走ろうと思っている方は注意してくださいね。次は名古屋市内の様子と、その後の旅模様についてまとめたいと思います~
それと先日ここに記した台湾旅行ですが、その様子もそのうちまとめたいと思いますね。台湾、想像していた以上に素晴らしい場所でした!!